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お知らせ 2022/10/28 特別連載:『ライカムで待っとく』兼島拓也(作)×田中麻衣子(演出) 往復書簡【全5回】

ライカムで待っとくバナー

兼島拓也×田中麻衣子長塚圭史 往復書簡

劇作家の兼島拓也と演出家の田中麻衣子が初タッグを組んでお届けする『ライカムで待っとく』。 
この作品は、2人がディスカッションを幾度も重ね、1年近くの歳月をかけて台本を完成させました。 
濃密な時間を過ごした2人がクリエイションを通じてお互い感じたこと、作品にかける思いなどを手紙形式で綴ります。

 

公演期間:2022年11月27日~12月4日<中スタジオ>

公演詳細>>https://www.kaat.jp/d/raikamu


1.田中→兼島  [9/15 UP] | 2.兼島→田中  [9/22 UP]| 3.田中→兼島 [10/7 UP]| 4.兼島→田中  [10/14 UP]| 5.長塚芸術監督→兼島・田中 [10/28 UP]

 

 

【第1回】田中麻衣子→兼島拓也

兼島さんと初めて会ったのは去年の初夏、zoomの画面越しでしたよね。いつもにこやかで、穏やかな目をして「ご近所さん」のような距離感で話すのが上手な兼島さん。創作が始まり最初に届いたのは、『ライカムで待っとく』の登場人物でもある佐久本さん(1935年生まれ)に、兼島さん本人が2021年の沖縄でインタビューする原稿でした。2人のウチナーグチ(沖縄弁)は軽妙で、すぐに兼島さんの書くものの虜になりました。沖縄本島の中でも南部・中部・北部で、生活と米軍基地との関わりは大きく違うことや、兼島さんが今住んでいる場所のこと。ユタやノロといった、死者と生きている者を繋ぐ存在が今も居続けるのは、、等から始まり、沖縄を中・外・過去・現在、、様々に見てきた気がします。本土復帰して50年。あの時の沖縄の人たちは、そして本土の人たちは、どんな復帰後を想像したのだろうかと思います。戦争を生き延びた祖父母たちの未来にいる私たちが、2022年の冬、この先に希望を見出すためにこの作品をつくっていきたいと思っています。

【兼島さんへの質問】
沖縄を離れるとき、気づくことや感じることはどんな事ですか?

 

【第2回】兼島拓也→田中麻衣子

田中さん、一通目のお手紙どうもありがとうございます。もう何度もお会いしているのにこうして手紙のやりとりをするというのは少し照れくさい部分もありますね。
まさかKAATから執筆の依頼が?!と僕のなかでは困惑からスタートしたこのプロジェクトでしたが、田中さんはじめ皆さんが僕の拙く冗長な話をゆっくりじっくり聴いてくれて、この人たちと一緒にいい作品をつくりたいという気持ちにすぐに変わっていきました。
田中さんに送った「インタビュー」は、キャラクターの人物像や生育環境、当時の時代背景などを探っていくために行っていて、もちろんあくまでも“架空”なんですが、資料を読み込むよりも生の声に近い感覚で、やってくうちにその人物にどんどん実在感が出てきます。
佐久本さんとのインタビューのなかで(外から見たら僕がPCをカタカタしてるだけなんですが)、復帰前の沖縄を生きる彼が、2021年の沖縄に生きている僕に「まだ基地はそのまんまであるわけ?」と問います。その一文を打ち込んだ後、僕の手はしばらく止まってしまいました。
いま僕は彼が知らない50年後の世界を見ていて、でもその景色はあの頃と変わっていないのではないか。この問いにどう応えたらいいのだろうか。そう感じたあの瞬間にこの作品の根幹が出来上がったのだと、いま振り返ると思えます。
この戯曲が、田中さんの演出でどのように立体化されていくのか、その過程を近くで見られるのが本当に楽しみです。作者というより一観客に近いかもしれません。すみません、無責任なこと言って。次のお手紙も楽しみにしています。

【質問への返答】
飛行機に乗って上空から沖縄を眺めると「あぁ、こんなに小さいんだなぁ」といつも感じます。こんなに小さな島にいろんな物や事が詰め込まれていて、そりゃあ複雑で面倒だなあと。たとえば県外からの旅行客が、同じ機内から同じように島を見下ろしたとしても、たぶん目が行くのは島周辺の海の青さだったりするんだろうなぁと思うと、僕の視線自体がすでに曇ってるんだなぁとも思います(すみません、悲観的に書きすぎました)。
あとは、東京や横浜などに来ると特になのですが、歩行者の数に圧倒されます。沖縄に住んでいると、車社会だし全然歩かないので。人ってこんなにいっぱいいるんだ、と変なところで感心してしまいます。

【田中さんへの質問】
田中さんは沖縄にルーツを持っていらっしゃるとお聞きしましたが、ご家族や周りの方から、沖縄のこと(生活や歴史など)について教えられたり、その文化に触れたりなどということはありましたか? また、そのようなときには、どういったことを感じられましたか?(興味深いとか、どうでもいいとか、またか…とか)

 

【第3回】田中麻衣子→兼島拓也

兼島さん、お返事ありがとうございます。これまで兼島さんとKAATの皆さんと蓄えてきた色々なことが、作品の至る所に出てくるのだと思っています。 私は祖母が沖縄本島の北谷町砂辺出身で、亡くなるまで一緒に住んでいました。戦時中、沖縄から親戚を頼って関西に疎開し、そのまま兵庫県に残ったと聞いています。戦後沖縄に戻った親戚たちは、今も孫にあたる私達までとても大切にしてくれて、沖縄の人たちのつながりの強さを実感します。祖母の部屋には綺麗な琉球舞踊の人形があったり、サーターアンダギーや、油みそ、送られてくるナントゥ(赤味噌入りお餅)も沖縄のものという認識もなくよく食べていました。祖母の生前、一緒に平和の礎に行ったことと、亡くなった数年後、祖母と祖母の母の骨を、砂辺の海に散骨に行ったことは特別な思い出です。私は沖縄で生まれ育っていないので、沖縄を「故郷」とは言うことはできないのですが、そう思いたいなという気持ちが昔からずっとあります。兼島さんと次にお会いするのは稽古初日。本番の劇場でもある中スタジオでですね。稀有な作品になると確信しています。

【長塚さんへの質問】
長塚さんにとって沖縄のイメージはどんなですか?

 

【第4回】兼島拓也→田中麻衣子

おばあさまのお話、どうもありがとうございます。島から離れても、沖縄への想いを馳せながら暮らしていたことが、とても伝わってきました。 田中さんの言葉を受けて、僕自身は沖縄を「故郷」だと思っているのだろうか、とふと考え込んでしまいました。僕はたぶん沖縄を「地元」だとは思っていますが、「故郷」だとは思えていないんじゃないか。自分自身が沖縄という地に根ざしているという感覚があまりないのです。 いつ離れたってよかったのにいまでもこの場所で暮らしていて、だからといって別にこの地に強い思い入れや愛着があるわけでもなく、なんとなくいまでもここにいる。たぶん(沖縄に限らず)多くの人にとって、「地元」ってそういう場所なんじゃないかなと思ったりもするのですが、そこに基地みたいなものが絡むと、ただずっとここにいるということ自体が政治的選択として捉えられるし、常に問われる立場に置かれる。作中のある人物はその「面倒臭さ」を(なんとなく)避けるために県外へと移住しています。 青い海だったり、エイサーや三線の音色だったり、正直僕はそこまで「ちむどんどん」したりはしないんですが、別に嫌でもありません。実に中途半端だなと我ながら思います。この文章にしてもそうで、最初からずっと煮え切らないふにゃふにゃしたことばかり書いています。 このふにゃふにゃはもちろん戯曲にも反映されているはずなのですが、役者さんたちがそこに声を与えてくれることでどういうふうに形態変化していくのかがとても楽しみで、稽古開始が待ち遠しいです。何事もなくその日が迎えられますように。

【長塚さんへの質問】
本土復帰50年ということで沖縄にまつわる作品(演劇に限らず)が数多く作られている今年。受け取る側が「もういいよ」と食傷気味になってしまわないかという不安も正直あったりするのですが、長塚さんの目から見て、この状況をどういうふうに感じていらっしゃいますか?

 

【第5回/最終回】長塚圭史芸術監督→田中麻衣子・兼島拓也

田中さん、兼島さん、お二人の手紙のやりとり読ませていただきました。長塚です。私は東京渋谷で生まれ、あちこち転々とした後、小学校に上がる前くらいから原宿近辺で育ちました。母と姉と3人でずうっと借家で暮らしていましたから、故郷を持つという感覚もなければ、地元という認識もそれほどありませんでした。ただ原宿から少し歩いた千駄ヶ谷や神宮前の人ッ気のあまりない住宅地を(どこもかしこも竹下通りではないのです)大人になってからぶらぶらすることはありました。ふっと幼い時の自分に会えるような気がするのですね。だから故郷とは言えないまでも思い出の場所ではあるんでしょうね。新国立競技場を建て替えると聞いた時に、嫌な予感がし、それは的中しました。小学生の時に走り回った広場は跡形もなくなりました。工事が始まったのを目にした時は、突然目の前に断崖が出来たように、馴染みの場所が巨大な鉈でバッサリと断ち切られたような思いがしました。競技場が出来上がってから、まだあの地へ足を運んでいません。いや、沖縄とは比べようもない話ですが、自分がかつて暮らした街が急に全く別の角度から脅かされ、自分でも思いがけない怒りや諦めの感情が次々に沸き起こったことを、お二人の手紙を読みながら思い出しました。お二人の作り上げる劇が、多くの新しい視野を生み出すのではないかと大いに期待しています。そして劇場内で私を見かけたらぜひどんどん声かけてくださいね。稽古の様子など聞かせてください。


▼▼質問への返答▼▼

【田中さんからの質問】 長塚さんにとって沖縄のイメージはどんなですか?

難しい質問だなあ。
夏のとある夜、偶然北谷の花火大会に出くわして(田中さんのお祖母様のご出身地ですね!)、麦酒を片手に人混みに紛れました。日焼けした肌で笑う若者たちの熱気の向こうに、復帰前の若者たちの姿を重ねました。それは丁度同事件の裁判を扱った、私にとってはこの事件を知るきっかけとなった伊佐千尋氏の『逆転』を読んだ直後だったからかもしれません。当たり前のことですが、当時の若者たちも同じように溌剌とした肉体を持っていたんだと思うと、なんだか頭が痺れたようになりました。沖縄独特の気候があるじゃないですか。この暑気を通して蘇る記憶みたいなものがあるような気がします。


【兼島さんからの質問】 本土復帰50年ということで沖縄にまつわる作品(演劇に限らず)が数多く作られている今年。受け取る側が「もういいよ」と食傷気味になってしまわないかという不安も正直あったりするのですが、長塚さんの目から見て、この状況をどういうふうに感じていらっしゃいますか?

もっともっとしつこいほどたくさんの作品が生まれたり、再発見されたりするといいんじゃないかと思っています。それでそこから始まるものが一つでもあればいいですよね。

『ライカムで待っとく』公演詳細