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やなぎみわインタビュー

2011-09-21

やなぎみわ演劇プロジェクト『1924海戦』公演情報 ⇒ http://www.kaat.jp/pf/kaisen.html
 
『マイ・グランドマザーズ』、『フェアリーテール』など写真、映像作品で世界的に高く評価されている美術作家・やなぎみわ。昨年から演劇公演を行なっている彼女が、明治と昭和の狭間、多彩な芸術的才能が開花した大正末期、1924年を舞台に、今夏から展開しているのが「やなぎみわ演劇プロジェクト『1924』三部作」だ。第一弾は7月、京都国立近代美術館の展示会場で行われた『1924 Tokyo-Berlin』で主人公は美術家・村山知義。初の劇場公演となる『1924 海戦』では、関東大震災直後の東京に日本現代演劇の聖地とも呼ぶべき築地小劇場が誕生する様を、こけら落とし作品『海戦』を劇中劇に仕立てつつ演出家・土方与志の視点から描き出す。その野心的創作の「企み」について聞いた。
 

 

■劇場=ブラックボックスへの憧れ

 

 
――美術作家として活躍するやなぎさんが、演劇に関心を持った経緯からまずお伺いしたいのですが。
 ちょっと長くなりますが、工芸科で大学を出たあと20代から美術作家として活動し、その作品の多くは写真や映像からなるものでした。エレベーターガールをモチーフにした作品を展覧会で発表するようになったのが1995年頃。でもその前に実は、生身のエレベーターガールでパフォーマンス作品を創作しているのです。卒業後の初個展は、ガラス張りのギャラリーの中でエレベーターガールが、一日中笑っているという、まるで活人画のような作品だったんですね。その次に、兵庫県立美術館の現代美術のグループ展で、エレベーターガールに扮した女性たちが毎週日曜、美術館に現れて作品の解説をしていくというパフォーマンスを一ヶ月ほどやったこともありました。
 それらの体験は面白く刺激的ではあったのですが、当時の私にとって生身の人間は、自分のコントロール下に完全には置けない素材で、そのことにどうにも馴染めなかった。その後、創作は写真と映像に移行していくのですが、被写体としてではなく、変わり続ける生身の人間を使った創作と表現への欲求は自分の中に引っかかり続けていて。一観客としては演劇を観続けていましたし、その消えない欲求に一度きちんと向き合わねば仕方ない、と改めて挑戦しているのがこのプロジェクトなんです。このシリーズにはエレベーターガールに代わる「案内嬢」という狂言回し、ナレーターが登場します。
――長年の想いを実現されたわけですね。
 そうですね、演劇に対してだけでなく、劇場というブラックボックスへの憧れが捨てきれないものとして、私の中にあるんです。美術館を、作品を展示し鑑賞者と対峙させるホワイトキューブとすると、観客と作品を通して同じ時間・空間を共有する場となるブラックボックス=劇場は、私の美術に対する懐疑に別の角度から答えを出し得る場としての可能性を持っているんですよ。去年から私が演出してきた場所は茶室や広場に設置したカフェ、このプロジェクトの第一弾も美術館の展示室でしたから、本格的な劇場は今回が初めて。すごく緊張してます。
 
「引き裂かれた時代」を舞台化するために
 
――築地小劇場の創立と、そこに連なる同時代の人々を題材にする着想はどこからのものなのでしょう。
 関係者の方には「いきなり演劇の本丸に攻め入った命知らず」と思われたのかも(笑)。でもどれが本丸なのかもよくわからないので、とにかく始めるならまず近代化の部分から理解していかねばと。美術は20歳そこそこから無知なまま手探り感覚だけで始めましたからね、2度目のスタートは始め方を変えてみようというのはありました。もちろん動機としては日本の演劇史における重大な出来事を扱うという意識より、前衛芸術に憧れた超人的な仕事ぶりや、背景となる激動の時代に強く惹かれたことが大きいです。
 関東大震災が起こったのが1923年9月1日。同年12月に留学から帰国した土方与志が、用地探しから始めたにも関わらず10ヶ月後の翌6月には劇場を完成させ、こけら落とし公演を実現させる。文字通り不眠不休で、己の理想を具現化するために働き続けたのだと思います。にも関わらず、私が調べたことから想像するに、土方の中には芸術的や思想的、引いては政治的にも揺るがぬひとつの指針があったわけではなく、欧米やロシアから移入したばかりの様々な主義、手法に戸惑い、心揺れるようなことが多々あったのではないかと思われるのです。
 大いなる希望と志を胸に新たな劇団の創立に邁進しながらも、後の分裂や解散の予兆までを包含した、そんな矛盾とエネルギーに満ちた築地小劇場を巡るドラマを舞台化したいと思ったのです。
――確かに時代も人も非常にエネルギッシュで、海外も含めジャンルを超えた交流が驚くほど行われていた時代だと思います。
 留学組が持ち込む知識や情報で、芸術や思想の最先端が日々刷新されていくような状態だったのでしょう。第一弾の主人公・村山知義も移入したばかりの構造主義について、日本への定着と変遷、その終局までを見越した論文を書いてしまうほどでした。でも、そんな前へ前への勢いで沸き立っていたかといえば、社会はもはや偉大な明治ではなく、日露戦争勝利の賠償金が思うように取れずに不況に陥り、ワシントンの軍縮会議で折角増産した軍艦を破棄せねばならない事態に追い込まれている。そこに震災と急速な復興が重なり、治安維持法と普通選挙の施行など、「引き裂かれた時代」とでも呼ぶべき極端な状況と、そこから生じる高揚感が築地小劇場の背景にも重なっています。そして、そんな状況をこけら落としの『海戦』は非常に象徴した作品だと思いますね。
――ドイツのゲーリング作『海戦』は、当時最先端の前衛劇ですね。
 劇場の幕開きから、難解な、前衛に振り切った作品を上演する。フィルムは残っていませんが、土方自身もどう演出して良いのか明確にならぬまま、「とにかく台詞を速く、怒鳴るように喋ってくれ」というような演出をしていた。しかも「前兆だ! 前兆だ!」というのが最初の台詞で、そこが築地小劇場の命運とも呼応しているように思えます。
 今回の作品はこの『海戦』を核とした、卵のような三重構造をイメージしています。黄身に当たるのが舞台『海戦』、白身がそれをつくる土方ら築地小劇場の人々、そして殻は当時日本に登場したてのモダンガールの化身=案内嬢の役名で、時代背景から築地の解説などもするナレーションが語る部分です。この三層を往還しつつ、時に混ざり合ったりしながら舞台は進行していきます。
 正直に言いますと、作品の詳細な全貌は私自身にもまだ見えてはいません。これから始まる稽古場での、演出という生身の俳優に向きあう時間が、私自身にとって一番悩ましい創作の過程なのですから。でもそれを乗り越えた先に、劇場でお客様と舞台の時間を共有できることには、今から期待が募っています。
 
取材・文:尾上そら